先代が亡くなり15代目に。
“十兵衛”を名乗らなかったのは
幼少期の苦〜い思い出が理由だった
ところで、兵庫屋さんは元・武士ってことは清正さんの元部下(の子孫)ってことですよね。そこから今は味噌・しょうゆ屋って、結構意外な転身のような…。その辺も含めて、早速話を聞きに参りましょう!
元・武士だし(ご先祖が)、職人さんだし、やっぱ気難しい感じなのかな…(ドキドキ)。ごめんくださーい。
斬られぬよう、気をつけるんじゃよ。
はい? あぁ、取材今日でしたっけ。どうぞどうぞ。
(めっちゃ優しそう!)
なんとなく元部下の面影があるような気がするぞ!
清正さん、ホントですか…?
……。
適当に言いましたね(笑)。
15代当主の稔晃さん。創業300年以上の老舗の看板を背負っている御方です!
加藤家が改易され細川家が藩主として熊本を治めていた頃、「兵庫屋」のご先祖様は武士から商人に転身。1715年(正徳5年)に質屋を創業しました。西南戦争によって店舗が焼失してしまいますが、それを乗り越えて商売を再開。現在は、15代目である稔晃さんが当主を務めています。
本当は跡を継ぐつもりは無かったんですよね。大学卒業後はそのまま県外でサラリーマンになって「自分はやっぱりこっちが向いてるなー」と思っていました。
やっぱり、とは…?
使われている方がラクじゃないですか。自分でやるのは無理と思っていたんで。でも就職して3年くらい経った頃に先代である父が亡くなって。その後に母が事業を続けているのを見て流石に色々考えて…。
そうだったんですか…。でも就職したばかりの会社を辞めて実家を継ぐって、結構大きな決断でしたよね?
うーん。でもやっぱり後味が悪いじゃないですか、自分の代で終わらせるのは。ご先祖様に何と言われるか…。
まあ、確かに…。
15代も続かれていらっしゃいますからね(汗) 。
ところで「兵庫屋」さんは歴代のご主人が代々“十兵衛”を名乗っていらっしゃるとお聞きしましたが、稔晃さんは本名で活動されているんですね。
はい。子どもの頃に、父親が小学校の提出プリントとかにも“十兵衛”って書いて、周りにからかわれていたのが嫌で嫌で…。自分が継ぐ際、十兵衛は名乗らないと決めたんです。
時代劇か!って突っ込まれそうですもんね。老舗あるあるというか、ならではの悩みということなのでしょうか…。
「清正」を名乗れば、うらやましがられたかもしれんぞ。
「建物を守りたい」と
二人三脚で歩んできた日々。
16代目の息子に、想いを託す
あら、取材の方? いらっしゃいませ~。
こんにちは。あら、おキレイな方! 奥様ですか?
はい(照)。店のことも色々任せています。
実は今みたいに小売りを始めたのも妻のアイデアなんです。もともとは業務用の直販のみだったんで。それが2002年の『熊本菓子博覧会』が開かれるのがきっかけで「県外の方にも来てもらいたいね」という話になって。観光客の方が来て楽しんでもらえる場所にしたいね、と蔵の一般公開と味噌やしょうゆの小売りを始めたんですよ。
※新型コロナウイルス感染症の影響により、蔵の一般公開は中止している場合がございます
結構最近のことだったんですね。
美人で仕事もできる奥方とは。最高じゃのう!
それでその頃から妻は耳が聞こえにくくなっていたので、手話を学んでいたんですよ。それを活かして、簡単な手話や筆談で耳の不自由な方への買い物サポートもスタートさせました。
本当に簡単な手話なんですけれどね、でも安心して買い物してもらいたいと思って。
そうだったんですか。大変なこともおありだったと思いますが、素敵な取り組みです!
そんな風に、蔵の中も資料館として観光客の方に楽しんでもらっているんです。海外の方も、バックパックを背負ってよくいらっしゃいますよ。
ワールドワイド! 味噌・しょうゆは、海外の方に取って「ザ・ジャパニーズ フード」ですもんね!
今は、コロナが落ち着いた後に観光客の方達にもっと喜んでもらえるように、色々考えていかないとねって妻とも話しているんですよ。あ、せっかくなので中に入ってみますか?
え、いいんですか! 菌のパラダイス・麴室に入れるなんて!
お邪魔します!!
江戸時代に創業してからの帳簿や貴重な資料など、歴史が詰まった展示物達…。これを令和の時代に見ることができるなんて感動です!
質屋の帳簿とかあるけど、何が書いてあるか、いっちょん(全然)分からんです(笑)。
笑。…いやはや、それにしても立派な建物ですよね~。今でもこんなにキレイにされていて。昔の職人さん達、流石の仕事振りですねぇ。
うんうん。さすが元部下の血を引いているだけある。君主の背中を見て建築を学んだのだな!
これ、当時では珍しい造りの壁なんです。ヨーロッパのワイナリーをヒントにしていて。レンガが二重になっていて、その中にもみ殻を詰めて断熱壁にしていたり…。かなりお金かけていたみたいです(笑)。
ええーー。なんと贅沢な!ヨーロッパのワイナリーに倣った蔵造りって、当時は相当ハイカラだったでしょうね。熊本地震は大丈夫だったんですか?
だいぶ揺れましたけどね。おかげ様で無事でした。かなり古い建物なんですが、明治と平成、2度の大きな地震を乗り越えたんです。それを経験して、なんと説明していいか分からないんですが「この建物を残せ」というメッセージを感じまして。
地震の時も揺れるのは怖かったけれど、不思議と恐怖は少なかったんですよ。何かに守られている感じがあって。それ以降も建物内にいると「安心」を感じるようになったんです。
とはいえ、建物は無事だけど中は酷い有様でした。製造タンクは倒れて中のしょうゆがダメになったし、商品も…。片付けは大変でしたね。(笑)。
そうですよね。あれから5年経ちましたが、まだ地震の記憶は色々なところに残っていますね。
それにしても、武士から質屋、そして味噌・しょうゆの製造業への転身って結構斬新というか、全くの別畑に思えます。そもそもどうしてなんでしょうか。ご先祖がお味噌汁好きだったとか…?
それは分かりませんが(笑)。
当時は、武士を退職して、その退職金で質屋をする人が多かったんです。初代もその流れだったんだと思います。当時の質屋って長くやっていると、質草として店にどんどん桶や樽が店に溜まってくるんですよ。それを活用しようと酒造りを始めたみたいなんです。昔はこのあたりの地下水って質がとてもよかったので。今は残念ながら飲めないんですけれど。
先祖代々、時流を読みながら、それに合わせて変化してこられたんですね。でも変化しながらも大切な歴史というかスピリットは受け継がれているのでしょうね。なんだか、脈々と続く歴史を今感じて、感動しています。
15代目として、渡邊さんが未来に受け継いでいこうと思われているものはどんなものですか?
この蔵です。
即答ですね! つまりこの兵庫屋の歴史を残していきたい、ということですか?
そうですね。もともと質屋でしたし、現在でも味噌・しょうゆだけでなく不動産業も併せて二足の草鞋でやっています。何をやるか、についてはそこまでこだわらなくていいかなと。
自分は元々後を継ぐつもりが無かったので、先代の背中からしょうゆづくりを学んだ…ということもありません。教わる前に亡くなってしまったので。だからあまり職人という意識も無いんです。当時の職人さんに教えてもらってようやく…というところですし。
とは言っても、やっぱり昔から馴染んでいる、伝統の味は残っているとも思います。だからこそお客さん達はずっとついてくれているんですよね。「味が違う!」と怒られたこともありますが「だったらこうしてみようか」と工夫して改善してきました。
先代が亡くなって一度離れたお客様にも、自分が継ぐからまたお願いしますと通い続けて少しずつ戻ってきていただけて、ありがたかったです。
蔵はもちろんだが、やはり味噌づくり、しょうゆづくりの伝統・歴史も大切に守ってきてくれたのじゃな…。そしてその努力に感動した!
ありがとうございます。
やってみて分かったんですが、醸造の面白さは「蔵ぐせ」が出ることなんです。今は製造委託もしているので、麹からは作っていないんですが、蔵に菌はいると思うんですよ。
それが「ココのしょうゆじゃないと!」とお得意様が言ってくれる理由だと思います。
やっぱり菌って目に見えないチカラが…。もっと聞きたいけど、さっきから赤ちゃんの声がするような…
ああ、息子が今帰ってきているんですよ。
16代目、現る…!
え、もうお孫さんがいらっしゃるんですか! うわぁ~可愛いですね~(赤ちゃんはお休み中で撮影できず…)
将来はお父様の跡を継がれるご予定なんですか?
ええ、そのつもりでいます。実は僕、初代の名前と同じなんですよ。漢字は違うんですが。
え、生まれた時から未来を背負っている感じですね…
はい、正直重いっすよね…。でも、跡を継いで自分の代で十兵衛を復活させます。
そのご覚悟、素晴らしくて尊いです…。
いやー、あまりにも素敵なご家族だったので、ほっこりして免疫力も上がりました~。
…そういえばご主人、美和さんとはどんな出会いだったんですか?
え、そんなことまで話すの?
はい、我々独身組の後学のために!お願いします!
え~。いや、ウチは不動産業もやっているんですけどね、彼女が不動産関係の会社に勤務していた頃に営業に来て…それで…。
わーー!仕事で訪問された美和さんをナンパしちゃったんですね! 隅に置けませんね~。
で、めでたくご結婚!! やっぱりお互い出合ったときに運命感じちゃったんですか?!
いやいや、全然見た目は好みじゃなかったですよ(笑)
ずこー。いや、でもその方が少女漫画っぽい展開でいいかも…。
でも、話している内にとってもポジティブというか、全てに前向きなところがスゴイなって尊敬するようになって。
やっぱり素敵な展開♡
サムライ、照れておるな。
いやー、仕事しなくていいから…とだまして結婚したんですけどね(笑)。結婚してからずっとガッツリ働いてもらっています。奥さんが色々企画してくれて、私はその指示に従う方が楽なんで…。
ここまで来るには本当に色々、色々ありましたけどね(笑)
色々か…。何だか、ふ、深い…。
でも耳が聞こえなくなり始めた時、世界に一人しかいないような気持ちになっていたけれど、この人(稔晃さん)がいたから前向きになれたんです。
そうだったんですか(じーん)
それにしても、家族でこんな風に家を守り・次代に繋いでいくって、やっぱり凄いことですよね。
はい、今後は息子が継ぐと言っていますが、「建物を残す」ということさえ受け継いでくれれば、後は好きにしてもらいたいと思っています。しょうゆや味噌を続けて欲しいと言ってくれるお客さんを思うと後ろ髪はひかれるけど、息子がやりたいと思う事をやってもらうのが一番なので。
なるほど。どこまで素敵なんですか。家族に乾杯したくなるようなお話を聞かせていただき、ありがとうございます!!
江戸時代から続く渡邊家は、先祖代々華麗な転身をしながら歴史をつないで来た一族。良い意味で「こだわらない」ことが、この江戸時代からの建物を守り続ける結果になっているのです。枝葉にとらわれず、様々なことにチャレンジする前向きな姿勢は、どの時代も強いのかもしれません。
武士の嗜みのよい者には、
とくに昇進させるだろう
人生設計にない「老舗店を継ぐ」ことになり、人生が一変。初めてのことへのチャレンジや熊本地震という未曾有の大災害に遭いながらも、奥様と二人三脚で歩んできた渡邊さん。昭和から平成、令和へと歴史が流れる中、稼業と建物を大切に守り続けてきました。そのぶれない想いは、まさに武士から転身した初代から続くスピリッツ。渡邊さんは、江戸から現代に信念を受け継ぐ、真の勇者(サムライ)なのです。
(取材・文/オンジョウマサコ、撮影/今村ゆきこ)
渡邊さんがオススメする、
近所のラストサムライ
- 村上カラシレンコン店
-
地域のムードメーカーとして愛される村上さんが営むのは、1957年創業の辛子れんこん専門店。ピリッとクセになる辛子味噌が詰まった手作りの辛子れんこんは、オープン直後に行けば揚げたてを食べられるチャンス。アイデアマンでもある村上さんが開発する新しいお土産にも注目です。
TEL:096-353-6795
住所:熊本市中央区新町3-5-1
営業時間:8:30〜17:00
休み:土曜
駐車場:なし
兵庫屋本店
お問合せ/096-352-0280
営業時間/8:30~18:00
(土曜は~12:00)
定休日/第2・4土曜、日曜、祝日
住所/熊本市中央区新町3-4-2
アクセス/熊本市電B系統
蔚山町電停から徒歩1分
はいっ! かしこまりました! さーてさて、アラフォーとなると、健康情報にやたら敏感になりますよね。ぬか漬け始めてみたり、豆乳ヨーグルト培養してみたり、発酵あんこづくりにハマってみたり…。な、菌活系ライター・オンジョウです。今日の取材は楽しみが過ぎます。