震災にもコロナにも負けじと町屋を守る若者がいるとな。しかもミュージシャン?一体何者何じゃ!?

ライター・平野

こんにちは。ライターの平野淑湖です。風情ある町屋の景観、大好きです! かつて幕末の志士達を描いた小説を読み漁っていたので、その辺をちょんまげ姿のお侍さんが歩いていたのかな~と想像するだけで楽しいのです。ニヤケ顔をマスクで隠して、いざ、行って参ります!

西南戦争後に再建された醸造所。
築143年の大きな町屋は、
時代のニーズに合わせて生き続ける

商人の町・万(よろず)町は、明治10年の西南戦争で焼け野原になってしまったものの、復興を遂げて明治~昭和初期まで熊本の経済を支える中心地として栄えていました。太平洋戦争下では戦火を免れたため、築130年を超える「町屋」と呼ばれる木造の建物が多く残っています。

お! 見つけました。今回の目的地「早川倉庫」。実は私、何度かイベント開催時にお邪魔したことがあるのです。倉庫なのにイベントって不思議ですよね。その辺りも詳しく聞いてみようっと!

ライター・平野

こんにちは~。……うわぁ!

フォークリフトに乗った
早川祐三さん、現る!

「あ、どうも~」

ライター・平野

何をされているんですか?

祐三さん

何って、仕事! 本業はこれですから。お預かりしている荷物とかを運んだりしてるんですよ。

あっ! どこか行っちゃった。
待って~!

ライター・平野

ここは、村上春樹さんなど、名だたる著名人もイベントを開催したことがある場所。そんなこともあって、熊本県民にとっては、イベント会場としてのイメージが強い「早川倉庫」ですが、柱となる業態はその名の通り“倉庫業”なんですね。

祐三さん

元々この建物は、明治10年に建てられた「岡崎酒類醸造所」で、赤酒やにごり酒を醸造していたんです。

ライター・平野

お酒を作っていたんですか⁉

祐三さん

酒の製造を終えたこの建物を、山鹿市で履物業を営んできた「川津本店」が引き継ぎ、和傘や下駄などの日用雑貨の卸売業として使用。大正9年に、曽祖父の仁三郎が独立し、「早川商店」にしたと聞いています。

ライター・平野

まだ倉庫業じゃない…。

祐三さん

職業軍人として太平洋戦争に行っていた祖父の健祐が、戦後帰って来た時に始めたのが、倉庫業。昭和29年開業で、今に至ります。

ライター・平野

なぜ、“倉庫業”だったんでしょう?

祐三さん

この建物や土地を残すため、ですよね。時代とともにどこも酒の製造をやめていき、建物だけが残っていったんです。それを生かすために、卸業者の干物や海藻、缶詰などを預かる倉庫業というのをどこも始めたんです。

ライター・平野

なるほど~。

清正さん

それにしても、長い歴史をうまく語れるもんじゃな。

ライター・平野

記憶力がすごい。

祐三さん

何べんも話していますからね~。昔は新町に市場があって、業者にとっても倉庫がこの街にあることは便利だったんです。でも、昭和40年代に市場が田崎町に移ってからは、業者向けの倉庫業は厳しくなって…。うちはいち早く個人の荷物の預かりもしていたので、どうにかなったんです。

ライター・平野

おじい様、先見の明をお持ちだったのですね…!

演劇、音楽、マルシェ……
他にはない唯一無二の場所として
出来ることは無限大!

ライター・平野

実を言うと、「早川倉庫」さんはイベント会場がメインだと思っていました。

祐三さん

イベントを初めてやったのは2011年。東日本大震災があって、「なんかせなんど!」と思ってチャリティーイベントをしたのがスタートですね。私が音楽をやっていたので、音響機材を触れるし、料理もできたので作って提供もしたし、演者としても出演しました。その時は、セルフでなんとかカタチに出来たんです。

ライター・平野

初めてのイベントを自分だけでやっちゃうなんて、普通じゃ考えられない‼

祐三さん

そこから不思議と縁が繋がっていって、2011年の年末には、カリ スマ劇団と呼ばれる“チェルフィッチュ”の舞台公演を行いました。それがキッカケになって、その業界の人たちに注目されるようになって。

ライター・平野

さすが、演劇の世界にも造詣があるんですね~。

祐三さん

いや、演劇は全然わかんないっす。そのあと、「九州演劇人サミット」に呼ばれることになったりして(汗)。そういった経緯から、ここが熊本の演劇バトル「DENGEKI」の会場になっていますし、優勝団体には“早川倉庫2日間貸切権”を授与させていただいています。

ライター・平野

「DENGEKI」って熊本の若手劇団員にとっての登竜門ですよね!「早川倉庫」から世界的俳優が生まれる日も近いですね~!

これまで演劇やコンサート、酒蔵まつり、マルシェなど数多くのイベントを開催し、交流の場となって来た早川倉庫。歴史的にも価値のある建物とあって、行定勲監督作品「うつくしいひと」では全編通して重要なシーンの撮影現場にもなったそうです。

この空間に高良健吾さんがいたんだ。会いたい~
ライター・平野

(はっ! 清正さんからの指令を忘れていた…)
ところで、先ほど「演者だった」とか、「料理をやっていた」とかおっしゃっていましたが、祐三さんは何者なんですか!? 

祐三さん

普通の人ですよ(笑)。大学卒業してからは、某ホテルでウェイター2年、調理を2年やっていました。音楽は高校の頃にはじめて、市民会館でコンサートの前座として演奏したこともあります。

ライター・平野

(普通なのかな…)

祐三さん

今でも音楽活動を続けていますよ。聴きます?

ライター・平野

いいんですか! ぜひぜひ!

清正さん

実は歌いたかったんじゃろう。

ギターを持って登場! 足元はサンダルです(写さないで~って言われたけど、載せちゃえっ笑)

ジャンッ!

おっ? おっ? お~!!!

生音をお届けできないのが残念です! 想像していたより、ものすごくカッコイイ! (失礼……)

清正さん

さっきまでとのギャップが…

祐三さん

なかなかいいでしょう~。じゃあ、もう1曲!

ライター・平野

か、かっこいい・・・

清正さん

なんか、悔しいな・・・

ライター・平野

いや、なんで悔しがるんですか!

清正さん

だってわしも歌っとるから。

不定期ながら単独ライブも行う祐三さん、普段とのギャップに驚きます!

ライター・平野

パチパチパチパチ!!! わ~、ありがとうございます。
ミュージシャンとして活動しながら、倉庫業、イベントスペースの運営をされているんですね。

祐三さん

そうなんです。倉庫だった場所を、片付けて、米ぬかで磨いて。ここは、僕が小学4年生くらいの頃に父が作った部屋で。その時に梁柱を磨くのを手伝わされてたんですけど、それが最初の家いじりです。ちょっとした英才教育だったかもしれないですね。

ライター・平野

え? 誰か住んでます!?

祐三さん

演者さんの楽屋や宿泊場所に使っています。家具も、もらい物がほとんど。良い感じでしょう~。

外から見ると、この辺。人が小さい!

「子どもの頃、ここでかくれんぼしていても友達に見つけてもらえないんですよね」と苦笑する祐三さん。なかなか見つけてもらえないので、咳払いをして存在をアピールしていたとか! はい、ここでは見つけられる気がしません!

町屋を守ることは
この町の個性を守ること、
先人達の知恵や文化を守ること。

ライター・平野

たっぷりご紹介いただいて、本当にありがとうございます。では、この辺で~。

祐三さん

え! まだありますよ。

ライター・平野

えっ⁉

清正さん

えっ⁉

祐三さん

熊本地震の影響で親戚の家が解体されるって聞いて、常々、建物の活用法について考えていて、ゲストハウスをしよう! と思って始めたんです。

ライター・平野

ゲストハウスまで⁉

娘さんをヒョイっと肩車し、歩いてゲストハウスへ移動。バナナの「松田青果」さんの前を通過しまーす。
町屋の風情を残した佇まいのゲストハウス「426」! 2017年開業。外観は、新町・古町界隈の町屋の保存・活用に取り組んでいる町屋研究会メンバー・宮本建設が手掛けたそうです。
ライター・平野

ここも古そうですね~。

祐三さん

築140年くらいと思っていたんですが…、この家の屋根裏で棟札(むなふだ:その建物の建築や修築の記録等を書いたもの)を発見したんですが、天保2(1831)年って書いてあったんです。この辺一帯は西南戦争で消失しましたが、一部焼け残ったという話も聞いたことがあって。「ここだったんだ」と感動しましたね。

「ここ、ここ」と見せてもらった棟札
「天保二年」って書いてあります! 感動!!
ライター・平野

築約190年! ここに泊まられる方も、そんな歴史深いゲストハウスだと知ったら喜ばれますね。

祐三さん

そうですね。ただ、コロナウイルスの影響をもろに受けていて…。インバウンドがメインなので、利用客数は9割減。「早川倉庫」でのイベントも3月から軒並み中止だし…。

ライター・平野

熊本地震に続いてコロナ。一難去って、また一難。

祐三さん

まぁ、大変だけど、「死にはせんけん」って思っています。「助けて」って手を挙げたら誰かが助けてくれるし、逆に食べるものに困ったって人がいたら、うちに来てもらったらおにぎりくらいはあげられるし。僕なんかは、イベントも全部中止になったおかげで時間ができたので、2軒目のゲストハウスの改築がすすめられて(笑)。

「426」の裏手の町屋を自らの手で改築中。
井戸を復活させ、小さな庭園を作る予定。苔まで自分で育てているというこだわりも!
ライター・平野

おぉ~~まさに建築中! ですね。

祐三さん

「426」もですけど、ここで使っている扉やサッシは、解体された町屋のものなんです。所有者は泣く泣く建物を解体しているので、一部でも生き残ったら嬉しいって言っていただけて。だから、できるだけこの町のものを使っています。

ライター・平野

思い出のある建具に、また会えるってことですね。

祐三さん

そうです。あと、解体した後の建具や建材を、蚤の市で販売して得た収益を、町屋の修繕や営繕に使う活動もしています。

ライター・平野

言い切れないかもしれませんが、祐三さんにとって、町屋の魅力って?

祐三さん

自分のルーツです。ツルピカな家の方が、性能的には絶対に住みやすいんですけど、奥行きを感じなくて…。町屋は、実際に人が生きて使っていた証であって、そういう人たちの営みの中で包まれて暮らしているんだなって感じるんです。あと、実際に町屋に触れていると当時の職人さんたちの技術に気付けて、西南戦争とか歴史と深くつながっていることが分かっておもしろいですね。ただ、これまで400軒あった町屋は、熊本地震で半分に減りました。このままだと、町の個性がなくなるって危機感があって、それが原動力になっているんだと思います。

清正さん

それで、結局何者なんじゃ!?

ライター・平野

あ、では最後に、祐三さんは「何者」ですか?

「町屋救出屋」ですかね!

ドヤ顔の祐三さん。英才教育のおかげで、家一軒の改修もへっちゃら
(注:大事なところはプロの力を借りています)
清正さん

かっこいい肩書きじゃな。

倉庫業、イベント会場やゲストハウスの運営を手がける早川祐三さん。その根底には「町屋を守る」という思いがあるのだと、取材の節々で感じました! 現代に生きる私たち以上に、町屋は時代や社会の流れに翻弄され、天災や疫病など数多くの困難を目の当たりにしながらも、負けることなく建ち続けています。そんなことに思いを馳せると、胸が熱くなりました。

ゲストハウス「426」の運営は奥様のあきこさんが担当。子ども達も敷地内を走り回りのびのび!素敵な早川ファミリーです
清正さん

たとえ後で罪を得ても
座視しているわけにはいかない。

地震などの自然災害だけでなく、維持管理の難しさから止むを得ず解体しなければいけない町屋もあります。そんな町屋に「見て見ぬふり」ができない祐三さん。解体されていく町屋をだまって見ているわけにはいかない。どうやって活用するか、どうやったら建物が喜んでくれるか。考えながら、自ら動く。これからも町屋を守り続ける祐三さんの姿を応援しています!

(取材・文/平野淑湖、撮影/今村ゆきこ)

早川さんがオススメする、
近所のラストサムライ

熊本人力車 肥後力俥

「何者か分からない」。そんな人が多い城下町の中で、履物問屋の5代目としてまちづくりに携わってきた早﨑富三郎さんも、一言で説明できない人です。ある時は人力車をひき、ある時はお好み焼きが美味しい居酒屋で腕を振るっています。

TEL:090-3412-8927
住所:熊本市中央区紺屋町3-36
※人力車は事前予約が必要。コースなどは要問い合わせを。

早川倉庫

お問合せ/096-352-6044
営業時間/8:00~18:00
定休日/日曜、祝日
住所/熊本市中央区万町2-4
アクセス/熊本市電A系統
呉服町電停より徒歩3分